末期在宅で想うこと

終末期の在宅

在宅業務、特に末期在宅には、患者さんの死がつきものです。

 

「患者さんが亡くなってしまうなんて、つらくないですか?」

「悲しいから、末期の在宅はやりたくないです。」

 

という意見をよくいただきます。

私はむしろ末期の在宅に携わりたくて、在宅を再開しました。

(一時期は在宅もういいや、ってなってたことはいずれ書くかも)

こう書くと、患者さんが亡くなることに関して、何も感じないのか、

と思われるかもしれません。

しかし、担当している患者さんが亡くなると、私も悲しいし、辛い。

それでも、この仕事には魅力があり、とてもやりがいがあると思います。

 

なぜ末期在宅をやるのか

これに関していうと、私の答えは1つです。

 

患者さんの望みを一つでも多く叶えたい

 

です。

叶えたい、というのはややおこがましいのですが、

叶えるのをお手伝いしたい、というのがしっくりくるかもしれません。

家で最期を迎えたい患者さんは、何かしら叶えたいことがあります。

 

家に帰りたい

 

もその1つですし、

 

愛犬と過ごしたい

 

 

孫の運動会を見たい

 

など、様々です。

そのどれかが、『最後の望み』になってしまうかもしれません。

 

その願いを叶えるお手伝いができる

 

としたら、素敵なことだと思います。

 

オピオイドの注射薬を調整する

 

などの専門性の高いこともありますが、

 

お薬をお届けすることで、家族一緒の時間が増える

 

といったことでもいいと思います。

薬剤師の介入で自宅での看取りが有意義になるのであれば、

悲しいさや辛さよりも、介入できてよかったなと思えるんです。

 

いのちの循環  

末期の患者さんには若い方もいらっしゃいます。

患者さんが若いと、お子さんがまだ小さいこともあります。

その場合、

 

自分の死をどう子どもに伝えるか

 

ということは非常に難しいことだと思います。

私も子どもがいる親として考えることはありますし、

皆さんがどのように伝えているのか気になっていました。

その中で、ある一人の患者さんが

『葉っぱのフレディ』

で自分の死を、そして自分の生を伝えるとおっしゃっていました。

名前だけは聞いたことがありましたが、内容を知らなかったので、

ポチポチして即購入。

つい先日になってしまいましたが、読了。

なるほどなーと。

要約すると、

 

いのちに無駄なものはない

ただ終わるだけでもない

いのちは形を変えて続いていくものだ

 

といったもの。

子どもがすんなり受け入れられるか、というとそうではないと思います。

しかし、いのちには終わりがあるということや、

生や死には意味があるということは、伝わるのではないかなぁと思います。

うちの子には一緒に読んだうえで、私の方が先に死ぬことを伝えると、

寂しそうにしていましたが、すぐにおもちゃで遊んでいました(^_^;)

 

最後に

若くして亡くなる患者さんの対応をするのは、気持ちの面で全然慣れなくて、

本当につらいのは患者さんとその家族なのに、だめだなぁ。。

なんて思っていましたが、往診のDr.に聞いたところ、

 

「慣れるわけないやん」

 

とのことでした。

それを聞いて、慣れなくてもいいんやなぁと思えて、少し気持ちが軽くなりました。

これからも在宅業務を続けていく限り、色々な年齢層の末期患者さんの

お手伝いをしていくこととなるでしょう。

自宅での療養・看取りが少しでもいいものになるように、

尽力していきたいと思います。

そのためにはもっと勉強しなくては!!!